地に足をつけ、黙々と坦々と。
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こんなやつです
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mahae
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自己紹介:
東北出身、南の島在住。
日々それぞれ
あの〜
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5日間のフリーパス使用期限最終日。
バスに自転車を乗せてもらい、島の北西部に行って来ました。



星野の◆人魚伝説◆
昔々星野の海で漁をしていた海人が、ある日人魚(ジュゴン)を網にかけました。
人魚は、「命を助けてくれたら海の秘密を教えましょう」と言いました。
人魚を助けた海人が聞いた海の秘密とは・・・
「大津波が来る」
これが1771年の明和の大津波だと言われています。

以外とバスの本数があるでしょ。
車を運転しないオジィやオバァの、通院や買い物の足です。
ここ5日間、女性一人旅の数人とも話をしました。
ほんんんんんっと!!多いですよ、女性の一人旅。



明和の大津波・
1771年〔明和8〕年4月24日午前8時頃、八重山・宮古両諸島を襲った津波。
低平な珊瑚礁の島々は三回も繰り返した大波に蹂躪され、未曾有の惨害を被った。
地震の規模はM7.4〔参考までに関東大震災はM7.8〕、震源地は南の島の南南東40キロといわれている。
災害は南の島の東面と南面で激甚を極め、宮良村で海抜85.4メートル、白保村で60メートル、大浜村で44.2メートル、伊原間で32.7メートル、平得村で26メートル、登野城村で12.2メートル、新川村で8.2メートルの波高を記録し、島の四か所で波が横断した。
南の島では真栄里・大浜・宮良・白保を含む八村が全壊し、南の島の人口は、津波前で17,394名、津波後は8,910名と48%の人が死亡または行方不明となった。
大浜では、当時の大浜の人口は、津波前で男670名、女732名の計1,402名、津波後での死亡行方不明者を差し引いた生存者数は、男98名、女17名の計115名で、実に91.8%の人口を失い、人口が12分の1に減少する壊滅的な被害をうけ、その後、波照間島や黒島等からの移住者が入り、現在に至っている。



自宅までは約26kmくらいでしょうか。
徐々に曇ってきて、サイクリングにはほどよい気温でした。
しか〜〜〜し、前日バスで下見をしたんだけど、アップダウンが!!!
平坦地の15kmなんてど〜〜って事ないんだけどねぇ。
熱射病を警戒して、こまめに休憩して水分補給。
約4時間で帰宅出来ました。
曇っていても気温は29℃くらい。
停まると汗ダラダラで、汗が落ち着いてからの出発だったから時間もかかっちゃった。

寒くなって来たら徐々に距離を伸ばしてみようかなぁ。
禁煙7日目、順調です、が!!体重も順調に肥えてる様な・・・
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