地に足をつけ、黙々と坦々と。
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東北出身、南の島在住。
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修業先に飾ってある。



ガラスに映り込んだアタシ。



南の島には“どんと祭”の風習がなく、これはゴミとして出される。
“どんと祭”とは故郷の呼び方で、一般的には左義長(三毬杖・さぎちょう)といい、小正月に行われる火祭りの行事。
地方によって呼び方が異なる。
日本全国で広く見られる習俗だが、東京では江戸時代に火災予防のために禁止されて以降廃れた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

故郷の“どんと祭”は盛大に行われ、毎年楽しみな行事だった。
「御神火」にあたり一年間の無病息災・家内安全の加護を得るという言い伝えがある。
あ〜〜〜そぅかぁ、南の島の暖かさじゃ「御神火」にあたる人がいないから伝わらなかったのかなぁ。
小雪降るなか甘酒で体を温めてたっけ。
持ち帰って来た甘酒を飲むのはいつになることやら。。。
1月8日20時50分現在、室温26℃ですから。
お天気の良かった昨日、裏道散策で見かけた風景。





とっても強そうなシーサー君と赤瓦と青空がベストマッチ。
出来立てホヤホヤなんだろうなぁ、赤瓦がすんごくキレイ。



こっちは年期の入った赤瓦。



残念ながら今週は曇りの日が多いみたいなので、貴重な休日だった。
さ〜て、気力充実修行に臨みましょうね〜。


南の島のお盆時のお仏壇全景。



昨日お墓へ参り、ご先祖様を連れて来たそうです。
沢山の果物と野菜が並べられていました。



3度の食事は仏様の人数分並べるそうな。



たくさんのお供え物にさぞかし仏様も喜んでる事でしょう。

アタシんとこの仏様にはだだちゃ豆とビール・煙草、そして島バナナを。
あっ、いつものお線香も。
かなり品数が少ないけど、気持ちよ 気持ち。
今日と明日は豊年祭(八重山地方では最大の規模で行われる石垣・四ヶ字(しかあざ)豊年祭(プーリィ)は、南の島の人口(約44,000)の半数以上が密集する地域でのお祭りとあって、多くの観衆、熱気、暑い夏をさらに熱くするお祭り。2日目のムラプーリィでは、旗がはためき、太鼓が鳴り響き、人々が舞う。五穀豊穣に感謝し、来夏世(クナツユー)の豊作を祈願する)。
《詳しくはここここ

なので頂いた月桃餅、こんな風にして蒸してたのねぇ。



これは芭蕉餅。



日没2時間前のビミョ〜〜なピンクかすみだったから。



明日元気があったらムラプーリィを見学に行こうかなぁ。
南の島産の牛乳。



気づいたかなぁ?

“牛乳パックの容量が946ml”

南の島以外では当たり前に1リットルで販売されている牛乳パックが、ここではそれにちょっと足りない「946ml」

時代は戦後、沖縄がアメリカ統治下に置かれていた頃。
本土復帰の2年前、初めて沖縄に牛乳工場がつくられたが、その時入ってきた機械や紙パックなどのサイズは全て米国製。
当然、その容量を測る単位も米国で使われているものが基本で「ガロン」。

1ガロン=3758ml。
本土復帰の際、日本で一般的な容量「1リットル」にあわせよう!ということで、1リットルにもっとも近い「クゥォーターガロン(1/4ガロン)=946ml」で製造・販売するようになった。

牛乳のパック売り化は、沖縄の方が本土よりも少し早かったらしい。
復帰後、日本各地から1リットル入りの飲料水が次々と入ってくる中、沖縄製造のパック入り牛乳などは当時と変わらず946mlのまま。
明治や森永などの大手メーカーが販売するものも、沖縄ではやっぱり946ml。
県外でいう500mlのかわりに、946mlの半分の容量・473mlが小さいサイズのパックとして売り出されてる。

最初は?と思ったけど、ここは南の島。
調べるまでもなく統治下での名残であろうと推測された。
父がここでエンジョイ出来ないのも、こんな歴史を痛切してるから。
なので今年も母だけ来島決定!
ツアコンのごとく綿密で、いい加減のスケジュールを考えよぅ!っと。
だぁ〜〜って、明日からゴールデンウィークなんでしょ。
人が沢山いるところって苦手だから・・・
観光地はかきいれどきだもんねぇ。
『クバ笠』とは、ヤシ科の植物「クバ」の葉で作った笠のことで、沖縄の民具の中でも最もポピュラーで実用性のある一品。
『クバ笠』には、農夫用と漁師用の2タイプあり、直径が大きく傾斜が緩やかなこれは、農夫用。



今では使われることも目にする事も少なくなったけど、年配のウミンチュ(漁夫)やハルサー(農夫)は今でもこれをかぶって自転車こいでお仕事へ。

欲しいけどかなりお高い!!
しかも、観光客にしか見えないアタシがかぶったら、島の方に怒られそう。
それほど生活に根ざしたかぶり物。
これが似合うオバァになれば良いのかな。
大銅・小銅は豊年祭などで演じられ、石垣市の無形民俗文化財に指定されているらしい。
その衣裳の復元を手績ぎの先生がなさったというので、見学に行って来た。
ところで胴、銅どっちでも良いのかなぁ。




右隅に映ってるのが以前の衣裳。
で、復元された上下。
地は藍染め。




経(たて)緯(よこ)糸とも苧麻。
もちろん手績ぎ。
地は福木(ふくぎ)染め。



それぞれ地染めした後に模様を書いてる。

現在流通の八重山上布は緯(よこ)糸だけが手績ぎ。

ここの「映像」で機織りしてる眼鏡をかけた女性が先生。

経(たて)緯(よこ)糸とも苧麻で、と思ってるアタシは衣裳を作ろうとしてるの?
ハハハ。

昨日6日の花は、ベンガルヤハズカズラ。
酔っぱらって深夜にupしてたんだわ!!
気づいたのは夕方、読んだ人もいるだろうからそのままに。
まっ、タマにはそんな事があっても良いさぁ〜。
沖縄には古来より、祖先を敬い、祖霊を大切に祀るという風習が息づいています。
沖縄の神話のひとつ、アマミキヨとシネリキヨという創生神が降り立った場所や生活した場所、村建ての人物ゆかりの場所を、御嶽(ウタキ)といわれる聖地として敬い、祀ったものがあります。
御嶽は現在も残っており、信仰の中心的な役割を担っています。
また、周囲を海で囲まれている沖縄の古代の人々は、水平線の向こうに理想の楽土があると考え、それをニライカナイと呼び、はるかなる思いを寄せたといいます。このような御嶽信仰やニライカナイ信仰は今日も根強く沖縄の人々の間に残っています。

また、自分の血族につながる祖先を敬い崇拝する信仰も、深く浸透しているといえます。
墓やトートーメー(位牌)を大事にすることが、現在に生きる人々の繁栄につながるという意識です。
祖先は死後もこの世の末裔を見守り、吉兆の因果をあやなしていると信じられてきました。ですから、祖先の霊を丁重にまつるために墓所をととのえ、繁栄と安全を祈願するための行事を執り行ってきたのです。
転載: (財)沖縄観光コンベンションビューローHP

門構えの立派なお墓。



屋上のあるお墓。



いままでお墓を撮るのは躊躇してたんだけど、手績ぎ仲間の一言がきっかけで吹っ切れた。
「お墓はただの入れ物だから・・」
彼女の話題は徐々に。
3月3日 ひな祭り
  4日 三線の日
  5日 珊瑚の日 と 十六日祭(ジュウルクニチー)

今日は旧暦 1月16日 
グソー(後生、あの世、他界)の正月で、お墓に詣でたり、仏壇にお供えをして祖先をなぐさめる日。
この行事は、祖先を供養するものとしてはほぼ琉球列島全域に分布。

南の島は特に盛大に行われるらしい。
手績ぎ講習が休みになり明日の新聞も休刊、その重大性が伝わると思う。
が、早朝、けたたましい雨音で起こされ、雨は午後まで降り続いていた。
お墓での宴会はど〜なったんだろう・・
我が家は焼香だけで勘弁してもらった。
明日の講習会で話題に上がるだろうなぁ。
いまだに飾られてるしめ縄。



本土復帰後に入ってきた慣習らしく、「旧正月まで飾るのが沖縄の習わしなのかなぁ」と勝手に納得してたんだけど、しめ飾りというモノだけが伝わり、文化までは伝わらなかったから、外す時期はそれぞれなんだって。
真ん中に炭(タン)と昆布があって、この二つは長く朽ちないので、健康と長寿の象徴とか。
《たんと喜びがありますように》と願いをこめて飾るそうな。

故郷ではお正月用品を燃やす《どんと祭》があったけど、南の島では聞かなかったなぁ・・・
って事は、しめ縄とかは燃やすゴミになっちゃうんだろうか・・・
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